〔山号〕青龍山
〔宗派〕曹洞宗
〔本尊〕釈迦牟尼仏
養寿院は、寛元二年(1244年)、河越遠江守経重公開基となり、密教大闍利圓慶法印を開山として創建。
天文4年(1535年)、時の住職隆専上人、曹洞宗太源派下扇叟守慶和尚の宗風を慕い寺を付嘱。爾来、密院を禅門に改めた。
江戸時代には幕府より朱印十石を与えられ、歴代川越城主の信仰も篤くおおいに栄え、また、近年まで、曹洞宗専門僧堂(修行道場)として、多くの人材を打出してきた。
●円空仏一体(市指定文化財)
御丈一尺余の菩薩様。円空と養寿院との関係は不明である。
●岩田彦助儒葬墓(市指定文化財)
彦助は川越城主秋元但馬守の家老で、「秋元に過ぎたるものが二つあり、無の字の槍と岩田彦助」といわれたほどの人物である。
●堀河夜討図屏風(市指定文化財)
江戸時代初期の川越城主酒井重忠侯は、不思議なことに夜ごと矢叫(やたけび)や蹄(ひずめ)の音にやすらかな眠りをさまされていた。
天下に豪勇をうたわれた重忠侯だったが、あまりに毎夜続くので、ある日易者に占ってもらった。すると、城内のどこかにある戦争の図がわざわいして、侯の安眠を妨げているという卦(け)がでた。
そこで、さっそく家臣に土蔵を調べさせたところ、果して、堀河夜討の戦乱の場面をえがいた一双の屏風画がでてきた。
さすがの侯も、ことの以外さに驚き、考えた末、日ごろ信仰し帰依している養寿院へ、半双を引き離して寄進してしまった。すると、その夜からさしもの矢叫びや蹄の音も聞えず、侯は安眠することができたという。
現在でも養寿院では、このときの屏風を秘蔵している。筆者は住吉具慶筆と伝える。